僕の育った実家は、庭先には田んぼが広がり、少し歩けば道路わきには蛍の住む川が流れていた。
幼いころの僕は、田園風景に囲まれた中を、春にはあぜ道でヨモギを摘み、家でそれを祖母と母が草餅にする。
秋には金色に穂を垂れた稲にいるイナゴを捕まえては、それを祖母と母が佃煮にする。
今思えば穏やかで心地よい田舎の幼少期であった。
水田 © 菊池市 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(表示4.0 国際)
世の中がバブル景気を謳歌していた小学校高学年のころ、実家周辺に新しい国道が開通し、その両側にはチェーン店が立ち並び始めた。
全国均一な郊外の風景、強烈に覚えているのはパチンコ店の看板である。それは極めて大光量で、その方角の夜空の色をこれまでの青黒い色から赤紫に変えていた。
僕の出身地 - 佐久市と合併する前の臼田町 は宇宙観測施設を有し、「星の街うすだ」を標榜していた。
バブル期の田舎町の例に漏れず、各所に謎の造形をしたモニュメントを設置したり、「星のふるさと」なんて歌を作ったりにお金を使っていたけど、いちばん大切な星の見える環境を守るためには、何をしていただろうか。
20数年後、実家を離れ東京で暮らしていた時のこと。ハワイ島に当時勤めていた会社の保養所があり、両親と妻、子供を連れ6人で旅をした。
空いっぱいに広がる星を見にマウナ・ケアへツアーをした私たちに、ガイドさんが教えてくれた。ハワイ島はその美しい景観を守るために看板類は規制され、そればかりか良好な観測環境を守るため照明はすべて空から届くことの無い波長のオレンジ色で統一されている。
その頃にはかつて実家の庭先にあり青々としていた田畑は姿を消し、砕石で締め固められた上には車両が置かれていた。
駐車場とかそういった類のものではなく、近所の修理工場の道を挟んで、部品とり用なのか何なのか、修理を待つわけでもない古い、走らない車がただただ置かれているだけの場所。
毎日歩いて通った通学路は、目の前に古タイヤが積まれた交差点になった。かつて眺めたバイパス沿いのパチンコ店は廃業し、廃墟となった。その錆びついたネオンは消えているが、すぐ横にはさらに大きなパチンコ店ができ、けばけばしい色の看板と幟で人を集めている。
田園の中に切妻屋根が三角形の家としてぽつんと存在していた風景は、そういう場所の中に埋もれてしまった。
両親がツアーガイドに住んでいる街のことを聞かれていた。僕は言えなかった。
僕は生まれ故郷には東洋一のパラボナアンテナがあり、星の街を標榜しているんだと。その環境を守り次世代に残すために、どんな努力をしているかと。
蛍を見なくなってから、もう何年たっただろうか。
・・・
結婚前、当時社宅のあった代官山と恵比寿のあたりには感じのいいお店が多く、休日にプール帰りテラス席でビールを飲んだり、まれに平日早く帰ってくることができれば友人と食事を楽しむ時間が幸せだった。
結婚することになり、景色だけで東京タワー目の前にあった古い小さなマンションの最上階を借り、ダイニングは北欧で作られた木製の折りたたみ可能なテーブルを揃た。
ちょっと気分転換にテラスで食事をしたり、花火大会の日には屋上にセットしたりした。
子供が生まれてからは仕事の関係もあり、タワーマンションに引っ越しした。
ちいさなベランダに無理やりテープルを出して食事をしたら、ビル風がすごくて大変なことになったけれど、隅田川テラスを散歩したり、お弁当を作ってピクニックしたり。
毎週金曜は早く帰り、気の利いたカフェが近くにあってテラス席で食事ができた。
— shiro (@ki460) 2012年8月13日
ライフスタイルの変化に合わせ平均2年に一度引っ越しをし、自分が暮らす場所の雰囲気と景色には気を使ってきたつもりだったけれど、出張や旅行の都度、海外の街なみに感じる美しさに、どこが違うのだろうといつも思っていた。
建築物でいえば日本は美しいものが沢山あるけれど、例えば素晴らしい家を紹介する雑誌を見ていても電柱、電線が邪魔していたり標識や看板が主張していたり、近所の家と全く雰囲気が違ったり、いわゆる美しい街並みというのとは何かが違う。
この時から、自分が将来建てるであろう家の、その場所を、具体的なイメージを持って探し始めた。
例えば民地を挟まず南側に大きな公園が有る敷地はどうだろうか。リビングからの景色に余計なものが映り込むことはない。春が訪れ桜の花が満開になる頃には素晴らしい眺めになるだろう。
しかし生活するとなれば家の外に出て、帰ってくる。いくら家の窓からの眺めが変わらなくても、家の周囲に醜い看板をたてられたり、遊技場を作られたりしない保証はない。
また高台、川沿いなど景観の良い場所に限って崖崩れ、洪水などのリスクがあるハザードマップの範囲内だったりする。
いっそのこと、周囲に何もない土地を買ってはどうだろうか。人里離れていて坪単価が安ければ山一つ買うことだってできる。
でもお気に入りの店に子供と手をつなぎ歩いてランチを食べに行ったり、夜ふらっとバーに行ってそこで合う友人たちと話をしたり、そんな生活が長かった僕にはもうわかっていた。
僕は気の合う人と話したり、関わり合うのが好きで、周りに誰も住んでいない、気の利いた飲食店が近くに無いような場所には住めない。