第一案、あるいは基本設計の完了

さて、設計をお願いしてから3ヶ月後。第1案提案の日がやってきた。

それまでにSさんの設計した家にお邪魔させていただき説明を受けたり、ヒヤリングシートを夫婦で話し合って書いて返信したり。

前回の新しい家のコンセプトもそうだけど、僕らが何が好きで何が嫌なのか、そこでどんな暮らしをしたいかをSさんに伝えてきた。
ここで格好つけるとこの先のローン生活が苦痛になる。

うちは、丁寧な暮らし的なものへのあこがれはあるけれど、ズボラだから日々の暮らしの手間は省きたい。
建築家物件建てて大丈夫かな…そんなことを考えながら妻の書いたヒヤリングシートを見たら、家事は「嫌い」に丸してあった。正直でいいですね。

これまで、Sさんの想像力を邪魔したくなかったので、具体的な間取りの話はせず、もちろんいいなと思う家の写真なども共有していない。

Sさんのこれまでに設計した家で、あるいは写真で具体的にいいなと思う点を伝えることはあったけど。

そんな僕らに提示された一枚の図面は、本当に衝撃的なものだった。
これまでに見たことのない間取りで、でもどのような環境で生活するか具体的に考えられており、しかも美しい。

その居住空間にはまるで折り紙のような屋根が乗り、これまでに見たどの家とも違う形をしていた。

今回家造りをして感じたのは、優れた建築家の作品は2次元的に間取りだけ見ても、理解も判断もできないということ。
一般的には何坪の家で、リビングが何畳でという風に考えていくし、僕も色々な間取りを見るのは好きだったけれど、実はそんなことをしても本質的に意味は無いのかもしれない。
僕らが住むのは平面ではなくて立体の世界なのだから。

だから出来上がるまで図面は載せないでおきます。
ひと目でこの家を建てたいと感じて、第一案からほとんど修正なく基本設計が終わりここまでで一年以上前。

もう現地は木工事をしているので次回から施工の様子、記録が書けると思います。

美しく、高性能で、暮らしに寄り添う家

なぜ、日本の家が30年程度で解体されてしまうのか考えるなかで、今回の家に求めるものが見えてきた。
長く愛せる家。家のロングライフデザインを実現するために、具体的にどうしたらよいのかは、なぜ短期間で壊されるのかの裏返し。

「美しく、高性能で、暮らしに寄り添う」家づくりを進めていきたい。
※この時点で自分たちの予算は一切考慮していません。。。

 

1.美しくあること

美しいとは何か。人によって感性は異なるし答えのない問題だけど、何とか自分の考えを整理して、今回は以下3点を目指すことにした。

1-1 美しい建築
建物単体でもそうだが、周辺環境、景観を乱さない軽井沢らしい美しさを追求したい。建物が個人の表現になってしまうのは避け、そこにあることで魅力的な街並みが引き寄せられるような、社会を背景とし環境と調和した建築を求めて生きたい。
美しさを求めて住宅雑誌や本を読んでいると高級感のある家が頭に浮かんでしまうけど、服でいうと全身ハイブランドな感じが今好きかというとちょっと違う。ロングライフデザインなのだから、普段使いできる、何十年変わらない定番のなかにある美しさがいい。

1-2 経年を味方に
革製品のように経年変化を楽しめ、時間がたち使うことで美しくなる家なら、新築時がピークの美しさではなく、歳を重ねて魅力的になる。
そのためには素材が鍵となるだろうか。また、植栽なども工夫しだいによって、時がたつほど魅力的な家に役立つことができそうだ。

1-3 美しい暮らし
いくら意匠性を追求しても、実際に家族が暮らしている状態で美しくないと意味がない。よく建築家の設計した施設などで、開業当初は美しいのだが、そのうち案内の説明書きが変なフォントで加えられたり、おかしなポスターがべたべた張られているのを見ると残念な気持ちになる。
暮らしが美しくあらねばならない。余計なものを付け足さなくても暮らしやすく、意識せずとも片付きスッキリする家ということになるだろうか。備え付け収納と、動線、それから不要なものを持たない暮らしがまず頭に浮かぶ。

 

「美しい建築」「経年を味方に」「美しい暮らし」といっても、正直特にアイデアがあるわけではなかった。
言うのは簡単だけど、それを具体的に考え形に落とし込むのはすごく大変なことだと予想できたので、その部分はSさんに全部おまかせすることにした。

3項目の実現についてはSさんの作った家の数々が素敵だと感じお願いしたのだから、Sさんの才能と経験を全面的に信頼し、施主として設計に悪影響を与えないよう気を付けて進めることにした。

 

2.高性能であること

性能については以下3点を目指すことにした。

2-1 地震への強さ
国の基準だと建築基準法を満たすのが「耐震等級1」、地耐力の1.25倍が「耐震等級2」、一番強いのが1.5倍の「耐震等級3」になる。

熊本の地震で耐震等級2の家が倒壊した例もあり、様々な本を読んだ。僕にとってわかりやすかったのは「なぜ新耐震住宅は倒れたか」(日経ホームビルダー)と「建築知識2017年5月号」(エクスナレッジ)だった。

Sさんは普段の設計でも、構造計算事務所にも依頼しているということで、まずは構造計算により耐震等級3を満たすようお願いすることにした。その上で、施工がしっかりしていないと設計上の耐震等級が高くても意味が無いので、基礎や構造の施工については、施工の専門家に話を聞きに行くことにしよう。

 

また万が一地震が発生した際に建物が安全なら、そこで家族が発生後72時間は避難生活を送れるようにしたい。ライフラインが遮断された時のために、パントリーまたは物置で食料を備え、エコキュートによって生活用水を備蓄し、薪ストーブの採用により暖房と炊事をしたい。

加えて通信、情報収集手段の確保として、テスラ製リチウムイオンバッテリーを装備したい。ここで太陽光発電を希望しなかったのは、悪天候時や夜間に発電できないので、災害対策としてはバッテリーより順位が低いと考えたためである。

 

2-2 気密断熱性能
断熱についてはH25次世代省エネ基準というものがある。今は義務ではないが、間もなく2020年には義務化される。
当然このレベルは最低ラインとして満たすのだが、もともと家について考える前から、とある記事を見て興味を持っていた。
家を買う予定もないのに、好きで毎年買っていたCasa Brutusの家特集2012年2月号。

社会に大きな衝撃を与えた3.11の大震災と原発事故。住宅の気密断熱性能を高くすることで、エネルギーを使わない社会に変えていこうと、パッシブハウス・ジャパン(PHJ)という団体を設立した森みわさんの特集が掲載されていた。

当時僕はデータセンターファシリティマネージャーとして、金融機関のサーバー室を計画し構築し運用する立場にあった。
コンピューターは計算時に電力を消費し、その電力分は熱となる。仕事では世界最先端のレベルでその熱をいかに少ないエネルギーで冷却するか考え、つくり、各種センサで計測して改善を繰り返していた。そうした背景が有り、コンピューターと人間という違いはあるけれど、理論的に森さんとPHJの主張が正しいことはすぐに理解できた。

家を作る際にCasa Brutusの記事を思い出し、引っ張り出して読んでみた。やはり面白い。
自然とパッシブハウス・ジャパンを検索すると、そこに軽井沢でパッシブハウスに暮らしているお施主さんのインタビューがあり、それがまたすごい。一気に感化された僕はパッシブクラスレベルの冷暖房基準を目標に決めた。
(その後読んで参考になった本、見学した家は多いので別エントリにします。)

気密、断熱について調べるうちに、エネルギーを使わない社会づくりという点で追加したい要素がでてきた。

世間での省エネ住宅における省エネルギーはその多くが冷暖房のみに言及しているようだ。だが、今後気密断熱の強化により、冷暖房換気にほとんどエネルギーを使わない家が増えてきた場合、さらに資源を節約するためにはどうすればよいか。
僕の前職で本当に環境に配慮した建築物を計画する場合、水資源の節約はマストだった。シャワーや各水栓の工夫もそうだし、トイレを流す水など上水である必要はなく、雨水を利用すればよいので雨水貯蔵タンクが欲しい。

また給湯は災害時の備蓄要件からエコキュートをえらんだけれど、100%電気ではなくて薪ボイラーまたは太陽熱給湯を併用したい。

 

2-3 進化する家
他に性能面から何ができるか考えていたところ、ある日ふと思いついた。
あらゆる性能を時の経過に耐えうるものにするには、もともと将来を予測して高性能にするのはもちろんだが、アップデート可能な仕組みにして時間とともに性能を上げていけばいい。

例えば設備更新しやすい作りにするのもそうだけど、最新の技術を取り入れていけばもっと面白いことができるのではないか。
物理的に交換しなくても、すでに、ファームウェアのアップデートで性能が上がるなど、ソフトがハードを定義する時代になりつつある。

わかり易い例はテスラモータースだろう。購入時になかった機能が、ハードウェアを触ること無く、ソフトの配信により追加されていく。

といっても具体的なアイデアはないが、使用状況を解析してハードウェアを変えることなく、エアコンの電力使用量が下がったりすれば、性能が上がっていることになるだろうし、この部分は検討事項としてゆっくり考えよう。

 

3.暮らしに寄り添うこと

さて、3番目、暮らしに合わない問題の解決はどうすればよいか。

3-1 暮らし中心の設計
僕らがその場所、その家でどういう生活・人生を送りたいかを中心に設計するということ。
10家族あれば10の暮らし方があるはず、土地の形状や周辺環境を踏まえながら、その家族がどういう生活を送るか将来まで想像して設計できるのが、注文住宅のよさだ。

がちがちに作りこむのではなく、流行を追うのでもなく、普遍的でありながらその家族の住まい方を考える。

これは僕のアイデアではなくて、今回お願いした建築家Sさんが大切にしているもので、完全に受け売りだけどとてもしっくりとくる、素敵な方針だと思う。
興味のある方はその後読んだ↓の本が、考え方が近いと思うので一読をお勧めします。

 

3-2 外的環境変化への対応
長く愛される家であるならば、数十年のうちに変わるだろう外的環境変化に対応できる必要がある。例えば我が家の場合は敷地に接する南側に雑木林があり、いわゆるパッシブ的な手法で南側を大きく開け日射取得することで暖房負荷の低減が見込まれるが、その雑木林は他人の土地なのでこれから建物ができる可能性を考慮しなければならない。

 

3-3 内的環境変化への対応
外的要因の変化を挙げたなら、当然内的環境変化にも備える必要があるだろう。
よく言われるのが子供の成長に合わせて間取りを変えたり、年を取ったら手すりが欲しくなるから、後付けできるようあらかじめ壁内に補強しておくといった要素があるだろう。

 

いや~コンセプトって楽しいですね、現実(見積)考えない段階なので好きなこと言っていればいいから。今読み返すと恐ろしいこと言っています。。。
でも、現実と折り合いつける前に、何をしたいのか考えておいてよかったと思います。

安藤さんが『住宅』の中で書いていました。
「だいたい、建築家もクライアントも予算の倍くらいの夢を小さな住宅に託すものですから(笑)」

そのとおりで、今になるとよく分かるのですが(笑)、減額などで悩んだときに、はじめにコンセプトがあったことで、立ち戻って考えることができてよかったです。

なぜ日本の住宅は寿命が短いのか、僕の考え

住宅寿命の短さに対する仮説

建築家Sさんに相談した時点では、土地に残されていた古家を改修するのか、解体して新築にするのか決めていなかった。

Sさん含め詳しい人に現場を見てもらうと、みな迷うことなく一様に解体して新築する以外の選択肢はないという。もともとの建物は新建材でできた別荘で、夏簡単に過ごせればいいように作られており、リノベーションしても新築の80%から変わらない費用がかかる上、わざわざ残す建物ではないと。

たしかに、見た目が素敵なら頑張れるけど、解体するしかなさそうだ。

 

 

話を聞き調べるうちに、日本の住宅寿命が諸外国に比べて、著しく短いことを知った。
日本人は「家」という本来資産となり次世代に受け継がれるべきストックが、住宅寿命が短いせいで一代限りのフローの消費となっており、可処分所得を圧迫するため欧米のような豊かなライフスタイルがおくれないという指摘もある。

家を作ってから壊すまでの期間が、欧米の二分の一から三分の一という数値*1 に、大きな衝撃を受けた僕は、なぜそうなってしまうのか僕なりに考えることにした。

 

1. 性能が低い

まず思い当たるのが性能面の不足である。中でも耐震性。1981年に建築基準法が大幅に見直され、新耐震設計法の導入がなされた。その後の阪神大震災を経て2000年にも耐震性に大きく影響を与える改正がなされている。
昔の基準で建てられた家を、耐震補強するのは当然費用が掛かる。家族の安全を守れない家が、壊されるのはやむを得ないだろう。

 

性能面では、個人的な経験から気密断熱性能の不足も一因だと考えた。生まれ育った家は、決して安売りなどではない注文住宅だが、冬の夜になると暖房のない廊下など共用部は、犬小屋のような温度となる。

これまで家の省エネルギー性能に対しては最低基準がなく、欧米から大きく遅れていた。
3.11以降住宅の一次消費エネルギーが問題だと指摘され、ようやく2020年から義務化されることになったが、温度差のある日本の住宅によって交通事故よりも多くの人が亡くなっているともいわれている。

住まい手のの健康を守れない家も、壊されていくのはやむを得ないだろう。

 

2. 暮らしに合わない

長く住めない理由として、構造の安全性、気密断熱の問題といった性能不足の次に、暮らしに合わなくなるという問題があるのではと考えた。
それは間取りの可変性、長期優良住宅でいう設備更新やバリアフリーもそうだし、そもそも新築時に自分の暮らし方、過ごし方、好みを突き詰めることなく家を買うことに一因がありそうだ。

 

3. 美しくない

そして、最も大きな要因は今回解体を決断したように「美しさ」だと考えた。
周辺環境と調和して美しい建物なら、残す価値が感じられ定期的に手を入れて次世代に受け継がれていく。

住宅寿命が短い理由を全体的な傾向で分析すれば、性能やライフスタイルの変化という要因はあるだろうけど、ひとうひとつの家がもっと美しければ、解体されずに残るだろう。

 

考える中で、時を経ても愛せる家にしたいという思いが強くなっていった。
どうすればいいのか。

つまり、仮説と逆のことをすればいい。

投稿日: カテゴリー 家を建てるまで, 設計なぜ日本の住宅は寿命が短いのか、僕の考えにコメント

建築家との邂逅

家を建てようと思ったら、まず何をすればいいのか。

住宅展示場へ

多くの人はまず住宅展示場に行くのだろう。大手メーカーとしても費用対効果が十分あるから展示場に家を建てているわけで、そうでなかったら、あれだけの建物を建て従業員を常駐させておくのは理にあわない。

僕の場合も同じように、近所の住宅展示場に行った。

す、すごい、複数スタッフでの迎撃。子どもの相手をしながら、親を捕まえて離さない。

後で聞いた話だけど、他のメーカーのモデルルームを見せないよう、時間切れを狙って引き延ばすのも営業テクニック。本当かどうかわからないけど、某社はまさにそうだった。

家自体は展示場に行ったのは初めてだったけれど、「家だなあ」という感想。大手メーカーだから、奥さん的には家事動線とか、僕と違う切り口での感想があるかなと思ったら、まったく一緒だった。

子どもたちは遊んでもらえたり、お菓子をもらえたりですっかり味をしめ、展示場前を通ると「行きたい!!」と大合唱するようになってしまった。(駅前にあるので、よく通るんです)

モデルルーム

 

ローコスト系の完成見学会へ

地元のローコスト系で、子育てにやさしいという触れ込みの会社が、完成見学会をするというので参加した。
熱心な説明を受け、展示場は見ましたかと聞かれたので答えると、「あの展示してある家は1億円くらいかかってますからね、カローラが欲しいお客さんにレクサス見せるようなものですよ」

そうなのか、素材のこととかはよくわからないけれど、大手の展示場はたしかに広かった。

「あの展示場の費用や営業マンの人件費もすべて家の価格に乗ってますから、うちは展示場も営業マンも置かないでやってます」*1

確かにこの会社は経費率が低そうだし、価格に見合った価値はあるんだろう。
でも僕らが建てたいのは、レクサスでもカローラでもないのだ。

 

建築家との出会い

住みたい家の具体的なイメージがなかったこともあり、展示場、完成見学会に行ってもどう進めるという方向性が見いだせずにいた。
建築家という選択肢が最初からあったわけではないけれど、本棚の中には趣味の写真集や小説に混じり、何冊か国内・海外の建築家による本や雑誌があった。

ある日のこと。本棚にあった建築雑誌を読み返そうと、子供を連れいつものカフェへ行った。

そのカフェは軽井沢にあって、Uターンしてからできた地元の友人に教えてもらった場所だった。建物の約半分を子ども連れ専用の座敷スペースとしており、およそ4歳、2歳の子を持つ親が、落ち着いてコーヒーを飲める場所は他になく、そういう気分の時はいつも行くお店だった。

その日もコーヒーを飲みながら雑誌をめくる。ふと子どもが気になり顔を見上げれば、高い天井に、植栽越しの柔らかい光が差し込んでいる。

優しいカーブでできたテーブルをいくつか挟んだ向こうの窓際で、長男がおままごとをしていた。
差し込んできた光は、折り紙のように傾斜と線がついた天井と奥の鏡に反射し、一心に遊んでいる子供たちを照らしていた。
2月の軽井沢だというのに、窓際で遊ぶ子供たちを見ていると、その空間にきらきらとつつまれていてあたたかく、今この瞬間をすごく愛おしく感じた。

 

ふと、この建物をつくった人に、家を建ててほしいなと思った。

その場で調べると、すぐに設計した建築家さんは見つかった。
県内に移住してきた、夫婦の設計事務所。

敷地条件、既存建物についてメールし帰宅すると、夜返信があった。真摯で丁寧、だけど技術的に書くべきことは書いた内容のメール。

ちょうど近々軽井沢に来る用事があるということで、その際に敷地を見ていただき、カフェでお会いすることになった。

 

コンペをするかどうか

まだ僕らの家に対する考えがまとまっていないにもかかわらず、建築家さんとの話は非常に盛り上がった。
それはどんな間取り?とか何の設備が欲しい?とか家に求めるモノではなくて、これまでどこでどういう生き方を過ごしてきて、これからどんな暮らしを送りたいかが話の中心だったからだと思う。

一月後のオープンハウスで、設計したお宅を見に行く約束をして帰宅後のこと。
コンペ参加をお願いしようと妻に言うと、話が分かりあえて、実際の建物もいいんだから、決めていいんじゃないかな、と彼女は言った。

僕は元プロジェクトマネージャー、相見積やRFPが当たり前の世界で生きてきたし、個人で何か買うときもまず価格コムを見て決める。
価格以外の要素も考慮しなくてはいけないサービスの場合は表を作り、各要素を比較して点数化し決めてきた。

そんな僕にとっては、そもそもコンペをしないという発想が存在しなかった。

妻は理論的には反論しないし、うまく言語化できないけど、引っかかるものがあるようだった。
こういう時はロジカルに僕が正しいと思っていても、いったん立ち止まって考えたほうがいいのは、7年の結婚生活で明らかになっている。

なぜ、コンペをしたいのか考えてみた。
もっといいプランが出てくるかもという欲があるからだ。

 

便利な時代に生まれて、買う側が売る側を選ぶ立場なのが、当たり前だと刷り込まれていた。

でも妻が感じているのは、いつもの買い物をするみたいに、いろんな事務所を比較したらいいものが手に入るのだろうか。
比較のため物のように扱って並べることで、自分にできない仕事を尊敬しながらお願いする気持ちが損なわれるのではないか。
そんな感情なのだろうと思う。

逆にコンペをしないことによるデメリットってあるのだろうか。
 - 一任したら手を抜かれるんじゃないか?
家は芸術、建築家にとっては大切な作品でもあるし、話をして建築が好きで真摯に仕事しているのは分かっている。

 - あれこれ見て選ぶのに比べて可能性が狭まる?
月に家を建てるのでなければ、重力や物理法則、法規制、そしてコストの制約の中で建築を追求しなくてはならない。
限られた時間とコミュニケーションの中で、一発のプランを何社かが作るのと、じっくりと時間をかけ話をして考えるのとで、後者のほうが本当に可能性が狭まるのだろうか。*2

ひとつ分かることは、コンペをして決めたら、そのプランから大幅に変わる設計にならないだろう。
できたものを選ぶのではなく、一緒に考えて作る。僕らの考えは決まった。

 

設計事務所決定

1月後のオープンハウスで再会した際に、その場で設計をお願いしたい旨を伝えた。
コンペ予定と言っていたし、見積やプランはまだ何もなかったので予想外だったようで、ちょっと驚いた顔だった。
そのままどうしてお願いしたいと思ったのか、建物を見て感じたこと、家は買い物のように扱いたくないし、駆け引きなく決めたい旨をお伝えした。

結局他の建築家さんと会うことも話をすることもなかったので、もしあの時カフェで思いつかなかったら、どうしていただろうか。
たぶん「長野 設計士」とか「軽井沢 建築家」などで調べていたのかな。それでもたくさん出てきてどうしていいかわからないから、雑誌から何社か相談してコンペをいたのではないかと思う。

それは決して否定しないし、また違った出会いがあったのかもしれない*3 けれど、僕らは今回の家づくりにとても満足しているし、そこで過ごしてみて「いいなと思う建物」を作った人にお願いできてよかった。

 

*1 その後モデルハウスを建て、若い人を営業にしたみたいで驚いた。
*2 実際初期段階で4つスタディがあったが、とことん考えていただいた第一案ではその4つとも似つかない全く違う形状になった。
*3 雑誌掲載は広告宣伝費用が必要だから、ある程度従業員を使ってビジネスしている会社が多くなるし、設計事例も写真の撮り方で受ける印象がかなり変わる。